今までの今月の言葉

「明日からやろう」と40回言うと 夏休みは終わります。

 
「この身今生において度せずんば
 いずれの生においてか  
 この身を度せん」(三帰依文) 
 
「宗教は、なぜ必要なのか」
  そう問う人にこそ 
  宗教は必要である。(西谷啓治)

いったい幾つの耳を持てば 人々の泣き叫ぶ声が 聞こえるのか
あまりに多くの人が 死んでしまったと気づくまで
いったい幾つの死が必要なのか
Blowin’ in the Wind  

(風に吹かれて)Bob Dylan

剣をとる者はみな
剣で滅びる  新約聖書

国豊かに民安し
兵戈(ひょうが・兵隊や武器)
用いることなし  仏説無量寿経

古里に還りし 母(ひと)の心根と

初面談や 盆の灯籠 

比べる必要のない世界を 彼岸という

ほんとうの いちばん深い闇は

わかっている という 思いです

縁において 生まれ、

縁において 在り、

縁において 去っていく 

この世に 

存在意義がない人間なんか 

一人もいない

いいことも、

こんな浅ましい心も両方を併せ持って

「私」でございますと、

自覚するのが合掌です。

そのことを気づいたならば

頭下げるしかない

というのが 礼拝でございます。

浄土真宗の礼拝は 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

のお念仏です 

          祖父江佳乃 

人間の願い事の正体を

照らし出すのが 如来の願いである。

仏教は 

都合よく生きられたら幸せだ 

という夢から覚める教えです。

             片山寛隆

人間は偉いものではありません

尊いものです

             安田理深

仏様の前に手を合わせて座るということは

仏様から育てていただくということ。

智慧と慈悲のハタラキを

引き出していただくことなのです。

             堀田 護

阿弥陀の智慧の光は

人間の知恵を超えているという意味で 不可思議であります。

しかし、

それ故に人間の知恵が持つ闇を

照らし出し、人間の愚かさを知らせてくれます。

             堀田 護

人間は 命の尊さに目覚める

ハタラキを持っているのですが、

残念ながら自分自身でそれを

育てたり、ひきだすことはできないのです。

ちょうど、自分が座っている座布団を

自分で持ち上げることができないように。

             堀田 護

現代の問題は、戦後万事につき

対症療法的思想でやってきたことの

ツケではないですか。

単にこの世を都合よく生きたい

ということだけなら、新興宗教で十分です。

鎌倉期に出現した法然・親鸞という人は、何を我々に提起したのか。

根源的なものの考え方を我々に

教えているのではないか。

だから、今日の日本の状況からして、

我々はあらためて法然、親鸞に耳を傾けねばならんのではないか。

             宮崎 駿

念仏しても  食えんかもしれんが

念仏せんと 食べたもんが 

無駄になるぞ

「慙」(ざん)は

内に自ら羞恥(しゅうち)す、

「愧」(き)は

発露して人に向かう。

「慙」は人に羞ず、

「愧」は天に羞(は)ず。

これを「慙愧」(ざんぎ)と名づく。

「無慙愧」(むざんぎ)は

名づけて「人」とせず、

名づけて「畜生」とす。

       『教行信証 信巻』