今月の言葉

極楽は
西にもあらで
東にも
北(来た)道さがせ
南(みな身)にあり
   一休禅師 詠
 
今の自分は 本当の自分ではなく
本当の自分は別にいる
と思っておられる方も
あると思いますが
今の自分こそが
本当の自分です
          竹中智秀

今月の言葉

極楽は
西にもあらで
東にも
北(来た)道さがせ
南(みな身)にあり
   一休禅師 詠
 
今の自分は 本当の自分ではなく
本当の自分は別にいる
と思っておられる方も
あると思いますが
今の自分こそが
本当の自分です
          竹中智秀

坊守のつぶやき 25号

 
 新幹線に設置されている「ひととき」という雑誌があるのですが、これがなかなか面白い内容で、桜の特集号の時にこの一文があったのです。
【いちばん最近の桜の記憶はなんだろう。それは去年のお花見だ。実家近くのスーパーでビールやお寿司などを買って、父と妻と一緒に近所の桜並木の下で食べた。小さな男の子がよちよちと近づいてきて、困った父はパイナップルを手渡した。他にあげられそうなものがなかったのだ。 
 若いお母さんにお礼を云われた。その場面が映画のワンシーンのように記憶されている。半年後に父が急逝したからである。あれが父との最初で最後の花見だった。でも、その時は夢にも思っていなかった】
 私は父のことを思い出してさめざめと泣いていた。ひとり静かに泣いていた。
 
 父は人混みに出ることを嫌った。平成九年(1997年)に京都駅が新しくなった時も、晴れがましくて出掛けられなかったらしい。お正月とお盆くらいしか帰れなかった私は、翌十年のお正月に孫を連れて帰省して、東京に戻る日に「一緒に京都駅を見に行こう!」と連れ出した。
地上四十五メートルの空中経路を歩いた時も「怖いな、怖いな、凄いな、凄いな~」と感心したり怖がったり •••
ホームまでの見送りは淋しいからと、今日は改札までにすると言うので「じゃあ、次は夏ね! 海のお得度があるからまた手伝ってね」と別れた。父の後ろ姿を見送った。それが父との最後になった。
 七月夜半、父が倒れたと連絡が来たのは七十七歳誕生日目前だった。くも膜下出血で意識が戻らないまま七月二八日命終した。
海 九歳になってすぐの八月四日のお得度を、父はとても楽しみにしていた。―海ちゃんのくりくり坊さん、可愛いやろな~ と心待ちにしていたらしい。少しは親孝行できるかな~と私も楽しみにしていた。
 でも願いは届かなかった。あの駅での最後の別れが思い出される。母は「京都駅を案内できて、良いことしたな~」とは言ってくれたが、やはり悲しかった。いつが最後になるのか私達はわからない。後から振り返って、あの時が最後だったのかと気付く。桜も駅も別れの象徴のような場所だ。
 
 人は死んだらどうなるのか?は誰もが一度は考えたことがあるだろうが、私にはわからない。でも、 親鸞聖人は『御消息集(ごしょうしょくしゅう) で、 「法身(ほっしん) ともうす仏(ぶつ) となるなり」と仰ってます。お聖人は阿弥陀様の 「どんなことがあっても私はあなたを見捨てることはしません。かけがえのないこの命を、あなたらしく力の限り生きなさい」というお声を聞かれて「 疑いなく信じ喜んで生きる者は、必ず浄土に仏として生まれる」と示されました。

祖父の葬儀を勤め、初七日後に剃髪し得度式に臨む


なのでもう直ぐお盆ですが、私たちの宗派ではお盆にご先祖の霊が戻って来るという考えはありません。
 私が命尽きた時は、 お念仏申す者たちは、同じ阿弥陀様のお浄土で、必ずまた共に会うことができる『倶会一処』(くえいっしょ)というはたらきが、とても心強いのです。
 愛別離苦、別れは寂しいけれど、ご先祖様の働きかけを受けとめて、いずれお浄土で再び会わせていただく。だから皆さん、安心してお念仏の道を歩んで行きましょうね!
 
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