三度目の緊急事態宣言

 
 新型コロナウイルスはより感染力の強い変異株となり蔓延し、三度目の緊急事態宣言が発令されました。皆さまにおかれましてもお仕事やお商売にも影響が大きくご心労のことと拝察いたします。 
 前回解除を発表した会見では「再び緊急事態宣言を出すことがないように対策をしっかりやるのが私の責務だ」と、言われたが具体的対策は示されないままでした。が、三度目を出すというとき、国会で申し訳ないと陳謝しつつも、「大阪、兵庫の変異株というのは当時は出ていなかった」と弁明した。神戸市は一月末から変異株の調査をしていたし、尾身茂分科会会長は「早晩、変異株が主流になる」(三月十日)と答弁していたのですが。
 コロナウイルス対策が、いま政治の最重要課題であることは誰もが認めるところでしょう。政治とは国民の命を守るためにあると言っても過言ではないと思うのですが、「仮定の質問には答えられない」との表現が流行中?ですが、いろいろな仮定を想定して様々な準備をしておくことが政治の責任ではないかと思います。仮定の質問にもきちんと答えてくれないと、社会を信頼し、安心して日暮しをおくることができなくなります。
 
 『武漢日記—封鎖下60日の魂の記録』(方方(ファンファン)著)の二月二四日の日記で以下のような見方を示している。
「私は言っておきたい。ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、どれほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢爛たる花火を上げるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ。」
 この基準は人道主義に基づく普遍的価値観といえるのではないでしょうか。残念ながら、今の日本に生きる私たちは、「自助・共助・公助」の順で生きなければならないようですが。

 
 先日 NHKテレビを見ていましたら、「スポーツに触れれば元気になる」「理屈じゃない」と無邪気に語る先輩ランナーの発言に対して、有森裕子氏が次のように語っていました。
 「アスリートファーストじゃない。社会ファーストじゃないですか。社会がちゃんとないとスポーツできないですもん。社会があって、その下に人間がより健康に健全に生きていくための手段としてスポーツがあり、文化があり、そこのひとつなんです。その一つに大きなイベントとしてオリンピックがある(略)」生命第一に立たず、開催が優先なのかと多くの人が感じている疑問に、社会ファーストであるべきとの明言は至極真っ当と共感しましたが、皆さんは如何思われますか。
 その式典についても見過ごせないことが起こっていたことに関連し難波別院(大阪)機関紙がふれていました。
 「(略)女性タレントの容姿を豚として比喩するような提案をしたことが報道された。(中略)明らかな侮辱である。人と人とが関わる中で、相手を見下げていくことで笑いをとることが当たり前のようになってはいないだろうか(中略)
「内部会議だから良いのでは?」と擁護する意見も見受けられたが、言語道断である。女性の体つきから豚として比喩することは許せないことである。これは人権侵害であり、イジメを助長し、差別を生んでいく温床である。スポーツを通して文化や国籍を超えていく行事を企画する立場にあって、無自覚に相手を傷つけるようなことはあってはならない。(略)
 『 無量寿経(むりょうじゅきょう)』に、「 設我得佛(せつがとくぶつ)、國中人天(こくちゅうにんでん)、形色不同(ぎょうしきふどう)、有好醜者(うこうしゅうしゃ)、不取正覺(ふしゅしょうがく)(たとい我、仏を得んに、国の中の人天、形色不同にして、好醜あらば、正覚を取らじ)」
とある。浄土はきれいや醜いといったことはなく、みな光り輝いている世界である。
 また、親鸞聖人の和讃に
「五濁増のときいたり/疑謗のともがらおおくして/道俗ともにあいきらい/修するをみてはあたをなす」とある。
 五濁が高まってくると、本当のことを見失い、お互いに嫌い合いながら悪いところを探し、非難ばかりしているとおっしゃっている。
 コロナの状況下、より人間関係の問題が浮き彫りになったように思う。此のような時だからこそ、 御同朋御同行(おんどうぼうおんどうぎょう)の精神に立ち返らなければならない。真宗大谷派は、同朋社会の顕現を目指す教団である。お互いに尊敬しあう関係を築く社会へ尽力していきたい」
【『南御堂』2021年4月号】