今月の言葉

極楽は
西にもあらで
東にも
北(来た)道さがせ
南(みな身)にあり
   一休禅師 詠
 
今の自分は 本当の自分ではなく
本当の自分は別にいる
と思っておられる方も
あると思いますが
今の自分こそが
本当の自分です
          竹中智秀

今月の言葉

極楽は
西にもあらで
東にも
北(来た)道さがせ
南(みな身)にあり
   一休禅師 詠
 
今の自分は 本当の自分ではなく
本当の自分は別にいる
と思っておられる方も
あると思いますが
今の自分こそが
本当の自分です
          竹中智秀

響流十方

 
 思い返せば一年前、「自由」や「民主」という理念を大事にするということを標榜する方々が、「傷みを分ち合う」という覚悟を確認して選挙となったのですが、その時の約束はすっかりなかったことになってしまって、自分たちだけは特別扱いです。
 為政者が「秘密」で何でも決め、その決めたことには従順で、整然と、言われた事に疑問を抱かず、おとなしく税金を納める人ばかりになる国が「美しい国」で、それを「とりもどす」ということだったのだとはっきりした一年でした。でも、歴史を見ればそういう国は七十年前に多くの犠牲を出して、はじめて間違っていたと気づき、やり直してきたのではなかったのではないでしょうか。


 本願寺第八代の蓮如上人は「ものをいえ」と述べています。「物をいわぬ者は、おそろしき」とまで言って、
「信不信、ともに、ただ、物をいえ。物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ」と。
     【蓮如上人御一代記聞書】
 私たちは自分で考え、疑問に思うことは黙っていないで何でも尋ね、疑問を解決していくことが大事なことだと思います。また、人に納得してもらおうと思えば、丁寧に言葉を尽くして理解してもらえるようにしなければならないのではないでしょうか。
 蓮如上人は封建時代に、高いところから一方的に言うのではなく、平座にて共に話し合う「寄合談合」を運営の中心に定めました。「談合」は今は良い意味で使われていませんが、文字通り自由に談じ合うということでしょう。
 疑問にまともに答えようせず、性急に進めることを心配して、「ちゃんと答えてよ」と求めることがテロ行為とされるなら、物が言えなくなり、またいつかのように大きく間違ってしまうまで、大きな犠牲が出るまで突き進んでいくのではないか、と多くの人びとが危惧しているのだと思います。
 勤勉で質素な生活をし、報謝の念を抱いて生きてきた私たちの先祖が育まれた場所をみんな愛して生きてきたのです。ことさら「愛国心」などといわれなくても、大地の恵みに感謝し、身を寄せあって生きてきたのです。そのような地域の共同体の人々を目先のお金でお互いの仲を裂き、完全でない人間存在があたかも全能であるかのように思いあがり、巨大な化け物を作ってしまったのではないでしょうか。その化け物が暴走した時には「絶対安全だから」と、省みることもしていないかのような有り様です。
遂に、何万年も先、生まれ育った愛すべき場所を住めないように汚して、愛することができないようにした者が、「申し訳ない」と頭を下げたこともない者が、人の道を説く「道徳」教育をするなんて出来の悪い冗談にしか聞こえない。

 
 お釈迦様の少年時代のお話があります。お釈迦様と従兄弟のダイバダッタが、一羽の傷ついた鳥を奪い合うというものです。
 その傷はダイバダッタの弓矢で傷つけられたものでした。早く傷の手当をしなくてはならないというお釈迦様と「その鳥は俺が射たのだからオレのものだ」といって利かないダイバダッタはお互いに譲らない。そこで国中の賢者が集められましたが、二人の主張を支持するものが二つに別れ、決着がつきません。そんな時、ある賢者がこう言います。
「すべて、いのちは、それを愛そう愛そうとしているもののものであって、それを傷つけよう傷つけようとしているもののものではないのだ」と。そして、鳥は傷の手当をして助けようとしたお釈迦様の手に渡されたというお話です。
 果たして私たちは、いのちを愛そう愛そうとするものなのか、それとも、傷つけよう傷つけようとするものなのか振り返ってみたいものです。
「今、いのちがあなたを生きている」というテーマで、如来の願いを生きることが私がすくわれることだと見出された親鸞聖人の七百五十回の法要を勤めました。また、その十数年前は「バラバラでいっしょーちがいを認める世界の発見」というテーマで蓮如上人五百回御遠忌を勤めてきました。
 それぞれが、いのち輝かせて生きていける世界を私たちの先輩は「浄土」と名づけて来たのです。私たちの世界はどこまでも穢土です。浄らかな国土(歩むべき大地)と見出してきたのが、わたしたち真宗門徒なのです。思えば日本人の勤勉・質素で謙虚な姿は、自らの罪業性を見つめ「恥ずべし、傷むべし」と日々歩んできた念仏者の生活そのものであり、その中で育まれ、伝えられてきたに違いありません。