今月の言葉

極楽は
西にもあらで
東にも
北(来た)道さがせ
南(みな身)にあり
   一休禅師 詠
 
今の自分は 本当の自分ではなく
本当の自分は別にいる
と思っておられる方も
あると思いますが
今の自分こそが
本当の自分です
          竹中智秀

今月の言葉

極楽は
西にもあらで
東にも
北(来た)道さがせ
南(みな身)にあり
   一休禅師 詠
 
今の自分は 本当の自分ではなく
本当の自分は別にいる
と思っておられる方も
あると思いますが
今の自分こそが
本当の自分です
          竹中智秀

仏弟子 周利般特 (ぶつでし しゅりはんどく)

黙々と掃除をしてさとりを得た


 それぞれのご家庭でも年の瀬の大掃除をされることでしょう。姉さんかぶりで割烹着姿のお母さん方の姿はもう都心部ではあまり見かけなくなりましたね。また、近頃では掃除は業者に依頼するというテレビCМも目にするようになりました。 
 さて、皆さんもニュース映像で一度くらいは見たことがあると思いますが、本山・東本願寺(京都)では毎年12月20日に「お煤払い」が行われます。室町時代の蓮如上人の頃より始まったと言われています。この煤払いのために全国から二泊三日で研修に来られた門徒の方々をはじめ、本山の職員、近隣の方々が参加します。
 「お煤払い」とは、御影堂・阿弥陀堂に一年間たまった埃を払って、新たな気持で新年を迎える重要な行事です。手ぬぐいをかぶりマスクをして、数百人が横一列に並び、一斉に竹の棒で畳をたたきます。その後から人の体くらいある大きな団扇が登場し、叩きだした埃を仰いで外に一気に出していきます。その後、畳一枚一枚の汚れを拭き取ります。
 掃除機で吸い取ったほうが効率的ではないかという声もあるかもしれませんが、数百年続いている行事です。他のお寺でも同じような「お煤払い」は行われていることですが、千畳敷きと言われる親鸞聖人の御影を安置した御影堂は流石に規模が違います。私も坊守も、数年間、頭からホコリまみれになりながら「お煤払い」を経験させていただきました。
 ところで、お釈迦様の大勢いたお弟子の一人に周利般特(しゅりはんとく)(チューラパンタカ)と呼ばれる弟子がいたと伝えられています。周利般特は自分の名前さえ覚えられないほど愚鈍な仏弟子だったと言われています。

 その周利般特にお釈迦様は“ホウキ”を持たせ「塵をはらわん 垢を除かん」ととなえて掃除をすることを教え授けました。
 その教えを忠実に守り来る日も来る日も掃除を続け、やがて周りの人々から“ホウキの周利般特”と呼ばれるようになり、遂に覚りを開いたのでした。
 ご法事で読誦される『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』の冒頭にこのお説法が行われた時に共に聞いていたお弟子の方々のお名前が出てくるところで、「…周利般陀伽…」と出てきますので、耳にされた方もおられることと思います。 
 その周利般特(チューラパンタカ)には、兄の摩訶半般伽(マハーパンタカ)がいて、二人はコーサラ国の首都・舎衛城のバラモン階級の子として誕生したと伝わっています。兄はお釈迦様の教えを非常に深く理解し、弟子に法を教えるほど聡明でありました。その兄に対して周利般特は、物事を覚えるのが苦手で、自分の名前すら覚えられないほどだったので、お弟子たちの中で最も愚路な者と言われていました。
 兄の勧めで仏弟子として教えを学ぶことになったのですが、お釈迦様の教えを全く覚えることができません。心配した兄は、お釈迦様から聞いた教えを短い偈文(げもん)にまとめて覚えさせようとしました。が、三ヶ月経っても兄から与えられた「三業に悪を造らず、生きものを傷めず。正念に空を観ずれば、無益の苦は離るべし」との偈文すら記憶する事ができなかったのです。 
 それを見かねた兄は、「汝のような者は、仏法を学ぶことはできぬ」と言って、自分の道は自分で探すようにと突き放して、ジェータヴァナ精舎(しょうじゃ)での修行を止めさせ家に帰そうとしました。それを知った周利般特は、自分の愚かさに涙を流し、精舎の門の外に立ったまま途方にくれていました。
 このことを知ったお釈迦様は、周利般特に「愚人の愚というのは むしろ智者にて 愚人の智者と名乗るぞ 真の愚者なれ」と諭されたそうです。つまり、自分が愚かだと気づいている人は智慧のある人で、己の愚かさを気づかないのが本当の愚か者であると言われたのです。
 そして、一本の“ほうき”を(一枚の布)を授け、「塵を払わん 垢を除かん」の二句を掃除をしながら東方に向かってとなえるように教えを授けました。
 お釈迦様から教えを授かった周利般特は、来る日も来る日もその二句をとなえながら、ホウキで精舎などを黙々と掃除し続けていきました。やがて、“愚か者の周利般特”と呼ぶ者はいなくなり、“ホウキの周利般特”と呼ばれるほど教えを守り続けていくのでした。
 そこには自分の道を探さなければならないという必死の思いと、塵を払い垢を除くというお釈迦様の教えとが重なり、日を追っていくごとに自身の心の中にあった問いが熟していくのでした。 
 教えをひたすら守った周利般特は、掃除をして身の回りをきれいにすることと、心を清淨にすることは同じことであり、垢や塵が自分自身の心の執着であり、煩悩だということに気づいていったのです。そして、ついにお釈迦様の教えを理解して三毒の垢(煩悩)を取り除きさとりを得たのでした。
 周利般特がさとりを得たことに対して、釈尊の教団の内外に非常に大きな驚きを与えることになりました。驚く弟子たちは周利般特が得たさとりについてお釈迦様に尋ねると、「さとりは多くを学ぶことを要せぬ。一偈といえども、真にその意を解して、道を修めれば、さとりをうることができる(悟りを開くことは多くを覚えることではない。わずかなことでも徹底すればよい。周利般特は徹底して掃除をすることで悟りをひらいた)」とお答えになりました。
 さとりを得た周利般特は、その後、兄と同じように釈尊の教団の指導者となって、多くの人々から尊敬を集めていったのです。
 この周利般特の姿は、心を散漫にせず自らの道をしっかりと歩んで行くことと、何か一つのことを徹底していくことの大切さを物語っています。日々掃除すること一つをとってみても、簡単そうで実行していくことはそう簡単なことではありません。かくいう私など、正に“三日坊主”であります。
 お念仏の教えを日々聞いていくことも同じように、非常に難しいことと言えましょう。
 周利般特の生涯にふれることを機縁として、年の瀬の大掃除と一緒に煩悩にまみれた心の垢も掃除をして、心新たな年を迎えたいものであります。(『南御堂』紙を引用いたしました。)